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近現代詩

吉増剛造の初期の詩

 吉増剛造の詩は難解だ。

 論理的ではないからだ。

 そもそも詩とは論理から意図的に離れようとしているところがあるから当然かもしれない。

 中には意味は分からないが論理的な雰囲気の詩というものもある。

 岩成達也のものなど。

 東大の数学科を出て大和銀行の常務をやった詩人。

 めちゃくちゃだ。こういう人は怖いのか優しいのか。

 一方で論理とは遠いところにある吉増剛造だが、初期の詩ははっきり論理がくみ取れて安心する。

 吉増剛造も同じ人間なのだ、と。

 『いやな絵』という詩。…女が投げ返されてきた/あちらにも/投げるやつがいるらしい/おれよりうまく投げる奴が/再び投げることは禁じられている…

 詩の中で突然後付けの言い訳のような茶目っ気のような説明。「再び投げることは禁じられている」。

 初期の吉増剛造はダダイズムの影響を受けているのだそうだ。

 もう一つ、『空を包装する』という詩の最後。…ああ/宇宙外の/感覚だ/もう/知らん!

 もう知らん!で終わる詩。

 詩人の詩は自分で作っているのだから、知らないということはないと思うのだが、およそ詩らしくない、もう知らん!

 シャーマニズムとは対極の人間臭。すっとぼけ感。

 安心する。