お酒をやめると、酔っ払っていた時間と翌朝のだるい時間が有効に使える。
人によるだろうが、私は酔ってからは何かをする気にならなかった。
頭を使うのがだめだ。読書とか。
酔ってもできるのは、ゲーム、テレビ、料理、掃除くらいだ。
逆に酔っているからこそ耐えられるのは、他人の興味ない話を聞くことだ。聞き流すことへの罪悪感が薄まるから。
私にとっては断酒により何でもできる時間が増えたことは間違いない。浮いた時間とも言える。
この時間を使って文章を書くことにしてみた。
私は文章を書く仕事をしたかった。もっと言えば自由に書く仕事がしたかった。なので、詩人や歌人、俳人に憧れた。
これらは勉強したり読んだりするのは楽しいが、いざ自分で作ろうとすると難しく苦痛なのであった。
名著『短歌パラダイス』のように自在に短歌がつくれればなあ、と思ったが叶わず。
漫画なら『ほしとんで』が面白い。
エッセイならもう少しハードルが低いと思った。東海林さだおの食のエッセイなど好きだ。早稲田でもあるし思い入れがある。
しかし就活の頃は、ブログで自由に文章を公開できる時代になっており、面白い文書を書く人がこんなにいるのか、と打ちのめされ、エッセイストを目指すのをやめた。
結局、まぐれで早稲田に受かったこともあり、学歴だけは良かったので、その切符を使い会社員になったのだった。
入社してから20年経ち、酒をやめて浮いた時間で文章書こうかなと思った次第だ。ああ、文章を書く仕事がしたかったなあ、と郷愁にふけって気持ちよくなるのも一つの趣味として健全ではないか。
文章を書くのが好きなのだ。
それは喋るのが苦手が影響していると思う。
ただし自由に書けねば楽しくない。読まれるためにはどのように書くか、という本はたくさん出ているが、その方法論に寄せると息が詰まってしまう。
詩人歌人俳人はそんなことを気にせず、自らの美意識により言葉を組み合わせるのではないか。
エッセイストはどうか。書きたい文章を書いている?
小説家は? 売れるものを書かねばならない?
自由に書いたら良いのだ、という思いを後押ししてくれるのが、いしかわゆき『書く習慣』だ。
喋るのが苦手だ、と書いてあるのにYouTubeで流暢に喋ってる!