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パノプティコンはベンサムが考案した一望監視装置だ。
監獄が塔を取り囲むように配置され、監獄の中の者は塔の上が見えず、監視されているかいないかわからないので大人しくする、というようなものだ。
現代思想ではフーコーが、現代の社会はこのような構造になっているとして引用した。
イメージとしては学校の試験で、試験監督が座席の後ろにいると不正ができない、という状態。
もちろんフーコーは哲学の人だから複雑なことを言っていて、主体とか権力とかそういうものを扱うために引用した。
規律訓練権力と言ったと思う。
パノプティコンは囚人が監視に見つかると酷い目にあうという前提だと思うが、どうなるのだろう。
期間が延長されるのか、体罰を受けるのか殺されるのか。
殺されずに囚われる人々だから、そこまで悪いことはしていないのではないか。
とらえておくには管理のコストがかかるのだから。
試験で監視されているかもしれないから不正を行わないのは、不合格にならないためだ。
ベンサムの時代はどういう想定だったのだろうか。