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サラリーマンをやっていると、会社ではシステム化が進んでおり、はっきり言って43歳の私にはきつい。
システム化のメリットは、間違ったものを弾いてくれる。
間違わないように人間が自動的に訓練される。
システム管理側は間違いを補正する時間を違うものに使える。
デメリットは、システムエラーがおこると厄介。
エラーの内容を把握し、解きほぐし、暫定対応、恒久対応が求められる。
システム化についていけない43歳の私が考えがちなのは、システム化されていなかった古き良き時代がよかったなあ、ということ。
効率化を突き詰めすぎて余裕が無いのがつらい。
自らのタスクを時間内に仕留め、残業なしで帰れ、という風潮。
一昔前はもう少しだらだらと仕事をしていた気がする。
書庫へいってサボったり。
雑談などして帰ってくる情報で自分の人生の修正補正の参考にした。
それがなかなか面白かった。
仕事は楽しくないが、仕事と人生が混ざり合う部分があり、仕方なく仕事をする最低限のモチベーションになっていた。
システム化が進んだ現在は、時間に対する圧迫感がストレスでつらい。
余裕がない。
ここで思い出すのが、早稲田大学の法学で水島朝穂教授が言っていたこと。
法律にはアソビという部分があって、あえて曖昧にするような設計にしている。
自動車のブレーキのペダルもあえてゆとりを持たせて作っている。
この感覚が今の社会では伝わらない雰囲気になっている。
ギチギチのシステム化は奔放で自由な発想を制限するのではないか。
芸術とシステムは相反するものではないかとおもったが、そうでもないかもしれない。
短歌界では加藤治郎、穂村弘はシステムの人と記憶している。
残念だ。
残念なのか?