FanPoteri
近現代詩

私のすごい方法

あややである。

ふと松浦亜弥の「私のすごい方法」というタイトルの曲があったなあ、と思い、サブスクでファーストアルバム「ファーストKISS」を聴いた。

1曲目の「ドッキドキ!LOVEメール」からワクワクする感じで、アルバムってこうだったよなあという久しぶりに味わう感情だった。

最近ではアルバムを味わうという聴き方をしていなかった。

ギターもワウワウを使っているがうるさくなく聴きやすい。

2曲目の「トロピカ〜ル恋して〜る」も引き続きワクワクする感じだ。

早稲田大学にライムスターの宇多丸が講演に来ていて、変なコード進行だと言っていたのを覚えている。

「私のすごい方法」は10曲目だ。

「私じゃないとできない方法 この手で掴んでやる」。

青臭いが心を打つ歌詞だ。

よくこんな歌詞が書けるものだ。

そしてポイントが2番の同じ部分、「私じゃないと わからぬこと」。

突然文語になり違和感がある。

つんくの作詞においては2番で、1番の音数や韻に引っ張られ不自然な文になることがある。

ここは「私じゃないと わからないこと」でも歌えるので、わざと「わからぬこと」を採用していると思われる。

こういうのがポエジーとして効いている。

プロのライターに依頼したら、こんな言い回しは採用しないだろう。

つんくがハロプロのために大量に提供した歌詞には、こういう部分がしばしばありフックとして記憶に残るのだ。

やぶれかぶれ感と合わさり言葉としての魅力を発していると思う。

私じゃないとできない方法。

今43歳だが、そんなものはない。

悲しい。

社会と会社の歯車なのだ。

これは自虐的自慢だ。