みうらじゅんのことを好きな人が多い。
一般的にはサブカルチャーでマニアックな分類だと思う。
タモリ倶楽部の雰囲気だ。
糸井重里の弟子だと言う。
糸井重里がサブカルチャーの人かと言うと全然そうではなく、メインカルチャーだ。
バス釣りなどをやっていた頃の糸井重里はサブカルチャーかもしれないが、一流コピーライターであることを考えるとサブカルチャーであるはずはない。
この辺りの逆転現象はおそらくたくさんあるのだろう。
山田五郎もサブカルチャー的ではあるが、オシャレ雑誌の編集をしていたり、伝統的な美術の批評をしていることを考えるとメインカルチャー以外の何者でもない。
みうらじゅんを悪く言う人は少なそうだ。
奥さんがシンガーソングライターのbirdであることを最近知って驚いたのだが、しかも不倫で再婚ということにも驚いた。
あまりそういうイメージがないからだが、そのことを悪く書いている記事が少ないのは愛されている証拠か。
みうらじゅんは仏教に詳しく、影響を受けていると思う。
したがって、みうらじゅんの言っていることは疲れた心に効く。
メンタル的に効く。
劇的に効くのは、比較三原則だ。
1.親と比較しない、2.他人と比較しない、3.過去の自分と比較しない
この原則の面白いところは、非核三原則のもじりであり、核兵器を「持たず、作らず、持込ませず」のオリジナルと同様否定の形をとっていることだ。
「非核」であれば否定がくるのはしっくりくるが、「比較」であればもはや否定は関係ないので、オリジナルを知っていなければしっくりこない。
こういう点で教養というものが効いてくる。
最近YouTubeで、勉強なんて意味ないからやらないと言っている若者に、いろんなことを知っていればタダで色々なことを味わえる、コスパ最強の趣味となる、と言って諭すものがあったが、本当にそうだなと思うのだ。
タモリも同じような趣旨のことを言っていた。
みうらじゅん比較三原則はこのSNS時代の疲れた心に刺さるのではないか。
みうらじゅんではないが、「多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。」という考え方も疲れた心に効く。
嫌いな人のことを考えて時間を浪費するのを辞めよう、恋焦がれているわけじゃないのだから、というもの。
確かに嫌いな人に時間を割くのは癪だ。向こうはこっちのことを何にも気にせずパフェでも食べているのであろうから。
この考え方も40歳を過ぎた中年の私の心に刺さるのだが、気づくのが遅過ぎたか?
みうらじゅんのトークはYouTubeの聞き流しにピッタリだ。
どんどん動画があがって欲しいものだ。
最近急激にみうらじゅんが好きになり接近しているのだが、昔からそれなりに認識はしていた。
「君は千手観音」という人間椅子が演奏してみうらじゅんが作詞している曲があるのだが、これは名曲と言って良いのではないか。
「君は千手観音」というタイトルからして秀逸。
どういう感情になったら良いのか。
青春のほろ苦さのイメージに、急に仏教的な概念が割り込む。
観音様。しかも千手の。
そしてカモン観音。
脳がぐちゃぐちゃになるほどインパクトがある。
1人電通みうらじゅん