二度見という表現は発明だと思う。
一瞥して違和感を感じ、確かめるようにもう一度見る。
犬が二度見している動画も見たことがある。
二度見という表現はいかにも現代的だが、状況はありありと思い浮かぶ。
私自身も二度見をしたことがある、気がする。
原始人も平安時代の貴族も二度見はしていたのではないか。
しかし二度見という表現はなかったのではないか。
だとしたらゼロの発見のように、二度見の発見ということが言えるだろう。
昔は二度見という表現が無かったということの証明は難しいが、少なくとも日本語以外の言語で二度見という表現が存在するかは調べられるかもしれない。