当時は世間的にアルコールの一気飲みによる事故が続いて、入学ガイダンスで自分がアルコールに強いのか弱いのかを認識するためのパッチテストみたいのをやった気がする。
入学当初の早稲田キャンパス(本キャン)の雰囲気は、それはそれは賑やかで、サークルでは新入生の勧誘が行われ、夕方になると新歓コンパのための行列ができ、適当について行ってもタダで飲み食いできるのであった。
そういうことをやっているのはテニスサークルが多かった。
私も経験だと思い、テニスサークルの新歓コンパについて行ったが居づらいだけだった。
このようにして身の程を知っていくのであった。
昼間は応援団とチアリーダーがパフォーマンスをしていた。
紺碧の空も歌われ、早稲田系の高校から推薦で来た人は堂々と肩を組み歌い、一般入試で来た人は遠慮がちに肩を組んだり組めなかったりだ。
当時は政治的な知識が一切なく、サークルには新興宗教や左翼などが強く関わっているなど知らなかった。
印象的なのは、当時はまだあちらこちらに立て看板があり、また、あちらこちらで立て看板を作っていた。
ペンキやかなづちを持って作業していた。
これは今思えば、地下部室撤去反対闘争と呼ばれているものの一部だったのかもしれない。
大学側が地下部室を利用しているサークルなどを追い出そうとしていたらしい。
双方の言い分があるのだろうが、入学1年目の私にとっては全く関係ないし、思い入れもない。
だがその頃の雰囲気を新入生の私は、大学とはそいうものなのだ、と思った。
一時的に学生運動的雰囲気が強かったのだろう。
暴力とか火炎瓶とか、そこまでの感じではなかったと記憶する。
当時珈琲研究会というサークルに出入りしており、このサークルは大学公認サークルで、部室が地下ではなく1階のとてもアクセスのよい場所にあって、空き時間はここでギターを弾いたりボーっとしたりしていた。
地下部室にも思い出がある。
これは一回だけだがブルース軍団というサークルが地下にあり、顔を出したときに大きくてひげ面のお兄さんがCDかレコードをかけてくれて、すごく良かった。
誰の曲か聞いたら、エムジーズだと言っていた。Booker T. & the M.G.’sのことだ。
また、部室にはドラムがあり、お兄さんがドラムを叩いてくれた。
部室の狭い空間でのドラムの演奏は迫力がすごく、これが大学なのだと思った。
立て看板をつくる作業をしているのは不思議と魅力的な女性が多く、一緒に立て看板つくるのも楽しそうと思わせるものだった。
高校の放課後に文化祭の準備を一緒にする感じだ。
何も知らない男子新入生はなびくだろう。
もちろん男女逆も言える。
今思えば、新入生を引き込むために、何か大きな力がはたらいていたのかもしれない。