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近現代詩

宮沢賢治研究批判

『切りとれ、あの祈る手を』を読んだ。

これはなかなか難しい本ではないか。

読むということは凄いことなのだ、と言っているように読めた。

本は凄いものなのだよ、ということがテーマなのはウンベルト・エーコの『薔薇の名前』。

こっちの本も難しい。

『切りとれ、あの祈る手を』はタイトルが格好良いではないか。

荒川洋治の「美代子、石を投げなさい」みたい。

宮沢賢治を持ち上げる研究者を批判したもので、ギョッとさせる。

荒川洋治は尖ったイメージ。

『ボクのマンスリー・ショック』もいかがわしい内容で面白い。

それにしても宮沢賢治はよく取り上げられる。

いじられている感もある。

それだけ魅力的だということだろう。

チェロのことをセロと言うことは宮沢賢治から知った。

ヨダカのことも宮沢賢治から知った。

ヨダカなんてなかなか見られないと思う。

主役に抜擢される事で私はこの鳥を知ることになった。

宮沢賢治研究は入沢康夫や天沢退二郎が思い出される。

2人ともフランス文学系の詩人だ。

入沢康夫は出雲の詩で文字がバッテンになっているやつ。

天沢退二郎は死刑執行官の詩。

旗にうごめく子どもたちを裏がえす者は死刑(後略)

天沢退二郎のこの詩が昔から好きだ。

思い出したように読み直してみたが、やはり好きだ。

論理的でない詩というものに論理をぶつけたような詩。

好きなのだが、荒川洋治はこの2人の詩人が嫌いなのだろうか。