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近現代詩

構造の収集を趣味として楽しむ

Youtubeの動画をザッピングしている中で「構造の収集」というキーワードが出てきた。

本を読んでいる中で構造を収集するのが楽しいとのこと。

とてもよくわかる話だ。

言い換えれば社会の中のパターンの収集ということになる。

「あるある」と似ているが、「あるある」はスポット的、「構造」は幅が広く連鎖的ということが言える。

社会の構造収集という行為があるとするなら、社会の構造の発見というものもあるだろう。

これは自然科学での自然法則の発見に対して、社会科学での社会法則の発見と言える。

自然法則は普遍的だから積み上げができる。

社会法則は普遍的ではなく、時代の変化により人の感情が変わり法則も変わる。

だから積み上げができず、過去も学ばなければならない。

歴史が絡んでくる。

自然科学は最新だけ学べば良いのだ。

読書や経験によって構造を収集するというのは学問そのものであり、高尚な感じがするが、結局たかが収集ということになる。

コレクションだ。

趣味のようなものだ。

構造の収集が楽しいというのは、構造コレクションが楽しいということだ。

チョコエッグのピクミンのコレクション、切手のコレクション、骨董のコレクション。

野鳥コレクションがバードウォッチングで、思い出コレクションが人生。

収集は人生の一部ということになる。

逆に人生は収集だけではない。

当たり前と言えば当たり前だ。

収集以外の人生とはなんだろうか。

自然科学での法則の発見だろうか。

こんなことを考えていると、「さよならだけが人生だ」という言葉が心に刺さる。

詩情が増す。

実存主義が死を意識して行動するのに対し、大衆は人生を意識して行動する。

大衆とは私のことを言っている。

私が人生を意識して収集を楽しみながら日々を過ごすということ。

収集を楽しみながら日々を過ごすことだけが人生だ。