経験的に正しいと思うのは、歳をとると丸くなるということだ。
一方で偏屈なおじさんやいじわるばあさんみたいな人もいる。
極論を言えば人によるということなのだが、私の経験に限って言えば丸くなる人が多い。
厳しめの女性が産休から復職すると優しくなっていると感じたことが何度もある。
子育てで壮絶に辛い思いを経験するからだろうか。
十分に睡眠も取れない中子供の世話をする必要があるのに比べれば、物分かりが悪いかもしれないが言語が通じるだけ難易度が低くおおらかになるのだろうか。
そのような身近なケースでなくても、ロックミュージシャンなど丸くなるケースが多いと勝手に思っている。
ジェフベックなど若い頃は気難しそうだが、日本に来てニューステーションで久米宏と話していた頃など、優しそうだった。
日本のスタバで無脂肪乳のカフェラテとチョコチャンクスコーンで朝食を済ませた、という記事を読んで、そんなにイラつくようなイメージを抱かない。
その穏やかな感じに憧れて、私も無脂肪乳のカフェラテとチョコチャンクスコーンの組み合わせをよく頼む。
ジョンレノンとポールマッカートニーだって、ビートルズを解散した頃は険悪だったが、だんだん和解したのではなかったか。
40歳の頃でもまだ険悪なのだったか。
ジョンは亡くなってしいまったが、今まで生きていれば仲直りして一緒にやってくれていたのではなどと妄想する。
ベンジーやミヤジも最近ラジオに出ていたのを聴くと優しく穏やかそうだ。
詩の世界だと、荒川洋治がやはりラジオで話していたのを聞いて優しく穏やかそうだ。
しかし、荒川洋治は若い頃は尖っていて、批判上等で厳しい発信をしていたイメージがある。
尖り続けるのも疲れるということだろうか。
私はめんどくさいことや揉め事が嫌いなので、他人を批判したり攻撃したりすることを意識的に避けてきたが、逆にこの歳になると尖り成分を摂取したくなる。
こういう現象はありそうだ。
今は丸くなっている人の尖っていた頃に注目する。
荒川洋治や井上陽水の宮沢賢治批判、あるいは宮沢賢治信者批判とか。
批判というのは、筋が通っているから批判として成立すると考えると、尖っていた頃の批判を摂取するのは自分の考えに深みを出すのに良いのかもしれない。
このようなことを考えていて思い出したのはスーザン・ソンタグ。
文句ばっかり言っているなというイメージだが、言っていることが難しすぎて敬遠してきたのも事実。
入門書から読んでみようか。