哲学や思想をかじってきたから何かの役に立ったのか。
なかなかの時間を割いてきたと思う。
極端な話、アイヒマンが極悪非道な人間ではなく、平凡でまじめなサラリーマンのような人間であったということを知っているということがなんだというのか。
結局趣味でしかない。
ギリシャ哲学から西洋哲学への歴史のロマン、一方で東洋哲学や日本の哲学との関係。
これが興味深いということだ。
ここに、啓蒙が不完全で野蛮が生まれてしまった例としてのナチスのエッセンスがまぶさる。
そうなのかもしれないが、だから何だという話。
哲学や思想を軽んじたいわけではなく率直な感想だ。
不謹慎かもしれないが、ナチス親衛隊の制服は人々の心をつかむためにデザインされただけあって、やはりスタイリッシュだと思う感情の揺さぶりのほうがよほど私の人生にとって重要だ。
そのあたりを散歩していて野鳥を発見する感動と同様、興味深いものであるということでしかない。
この発想は、少し哲学に詳しいから少し優れていると思ってしまっていることからきているのであって律さねばならない。
少し野鳥に詳しいから少し優れていると思ってしまっているのと同様だ。
いいや、少し野鳥に詳しいということは自慢したい。