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哲学

講義録の魅力

講義録には魅力がある。

論文を元にした本より噛み砕かれて理解しやすいのではないか、という気がする。

学生時代に実際に講義を受けている情景が思い出され、ノスタルジックな魅力もある。

しかし、この魅力はトラップで、実際は講義録も難しいというのが私の経験から言えることだ。

それほど話題にならないが、私はアドルノという思想家が結構好きだ。

ベンヤミンと交流があったという点と、自らもピアノで作曲するなど、芸術、美学に近い思想家であったという点に惹かれる。

アドルノはジャズに否定的だったという。

哲学好きは大体ジャズが好きだから、アドルノがジャズのどのような点を批判しているのかというのは皆興味があるのだろう。

私はあまりアドルノのジャズ批判はピンと来ておらず、ウケるように型にハマってしまっている、ということを言っている気がするのだがどうだろう。

アドルノと言えば否定弁証法だが、否定弁証法の講義録、『否定弁証法講義』というものがある。

以下のも面白そうだが、難解で一所懸命読む気にならなかった。

ソシュールの『一般言語学講義』も後に学生のノートから復元したものだと聞く。

いかにも面白そうだが難しそうでこれも積読状態だ。

ハイデガーの講義録も積読状態。

吉増剛造の『無限のエコー』という慶應大学での講義を元にした本がある。

これは、私も受講していた早稲田大学での講義をブラッシュアップしたものということで目を通すのだが、読みにくい。

賛否あるようだが、そもそも早稲田での講義も何かを説明するようなものではなく、教室にいる人たちと雰囲気を共有するのが目的といったものだったので、当時の雰囲気を思い出すのにはうってつけの本だ。

その場にいなかった人がこの本を読んでも、その場のノリのようなものがわからないので退屈してしまうかもしれない。

仲正昌樹にもカルチャー教室などでの講義を本にしたものが何冊かある。

ベンヤミン、フーコー、ドゥルーズなど。

原典が難しいので、スッキリ理解できると思い読んでみるのだが、結局難しい。

聴講している人とのQAも載っているのだが、それすらも理解できず、がっかりして本を閉じるのだ。

聴講している人は話についていっているが、自分はついていっていないというがっかり感。

本に載っているQAも噛み合っていないのでは、と思われるものがあるのは多少の救いではある。

仲正先生の本は『Nの肖像』が面白い。

活字が青いのも何か心にグッとくるものがある。