フーコーが、学校はパノプティコンである、と言ったか言わないかで揉めているという。
行ったか言わないかはわからないが、個人的な感覚としては、学校にパノプティコン感はある。
というのは、パノプティコンの例として、試験の際に試験監督としての先生が教室の後ろにいる状態、というのがあるからだ。
この場合、教室の後ろにいる先生が、試験を受ける学生を見ていようが見ていまいが、見ている可能性があるので、不正はできない。
この例の納得性が高いので、パノプティコンという考え方はすんなり受け入れられるし、学校とパノプティコンは親和性が強いように感じる。
パノプティコンってそんなにもてはやされるほど画期的な発想なのだろうか、と思うぐらい納得性が高い。
しかし普通に生きていればその現象がパノプティコン状態と言われるということを学ばないので、パノプティコンと言いたい。
とりあえずパノプティコンと言っておけば一目置かれると思ってしまう。
もっと学問臭を出すにはパノプチコンと発音する。
不正をするほどの度胸はないが、後ろにいられると気が散るのであまり後ろにいてほしくはない。
デスクワークの際も別にサボっていないが、誰かに後ろにいてほしくはない。