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断酒

逆説の山崎正和

 平日の朝から飲んで退廃的な気分に浸りたい、という気持ちがあるが、断酒を趣味にするということで1か月半やってきた。

 自分でも気に入ったアイデアだった。

 これから、クリスマス、正月と過ごす中で、酒なしにするとどのような境地に達するのか。

 素晴らしい境地を妄想して楽しんできた。

 とはいえ、自分の人生だ。飲もうが飲まなかろうが自分で決めることだ。

 などと思いながら、やはり飲んでしまうのは惜しい。

 なんとか飲まずに退廃的な気分を手に入れられないか。

 ということで、いかにも平日の朝から飲めます、という店に行き、逆に飲まずに周囲の飲んでいる人や、店の外の会社に向かう社会人を眺めるということをやってみようと思う。

 行為としては、不健全、退廃的と思うが、酒を飲まないという意味では健全そのものだ。

 こういうのを逆説というのだと思う。

 この逆説(パラドックス)という言葉はバッチリ理解しているわけではない。

 辞書的には「急がば廻れ」というようなことを逆説と言うようだが、ふわっとしていると思う。

 英語ではパラドックス。

 英語でもこのような言葉があるということは、人類史上でこのようなふわっとした現象がしばしば登場し、逆説・パラドックスと名付けたのだろう。

 アメリカのバンド、カンサスに「逆説の真理」という曲があり愛着がある。

 この曲が入っている同アルバム『暗黒への曳航』の「逆説の真理」の次の曲で「スパイダー」という何拍子かわからないインスト曲があるのだが、わかりやすくて格好良いのでお気に入り。

 逆説と言えば、他に思い出すのが逆説の山崎。

 入試の現代文の問題ではやや難解ということか、よく山崎正和の文章が採用されており、逆説の山崎と呼ばれていた。

 逆説を多用するらしい。

 山崎正和はサントリー文化財団の設立に深く関わっており、サントリーの文化的な雰囲気の中核だったということだ。

 私がサントリーの文化的な雰囲気に憧れるのは、受験勉強で山崎正和の文章を多く読んだからかもしれない。

 受験勉強で取り上げられる文章は良かれ悪しかれ、読んだ人の思想に影響を与えるのではないか。

 『陽水の快楽』があれだけ取り上げられたので、筆者の竹田青嗣に興味を持つ人も多いのではないか。

 受験勉強をするのは大部分は若者だから、吸収力も大きいだろう。

 入試を作る人も、自分が読んだ文章から問題を作るのであろうから、入試問題は作り手の興味に引っ張られるのではないか。

 あまりに極端な入試問題は問題としての採用時に弾かれるのだろうが、『陽水の快楽』は弾かれなかった。

 東大から省庁へ進んだ当時の受験生だって山崎正和の文章をたくさん読んだのではと思うと、入試問題のチョイスによって日本の政治をコントロールできるかもしれない、などと言ったらトンデモな話になってしまうか。