詩人になりたかったが挫折した。
ところで、詩人とはなにか。
吉増剛造の『詩とは何か』という新書に、ヒントが隠されている。
面白いのは、ジミ・ヘンドリックスが何度も出てくる。
早稲田大学で教えていた頃に、生徒に教えてもらったとある。
私が習っていた頃だ。残念ながら吉増剛造にジミ・ヘンドリックスをインプットしたのは私ではない。
当時から大物詩人である吉増剛造に、どのような文脈からジミ・ヘンドリックスの話になったのかは興味深いが、それはわからない。
ただ、当時70歳の詩人が20歳の若者の話に耳を傾け、今日でも本に何度も登場するくらい影響を与えているというのが驚きだ。
また、評論家の磯田光一に自らの詩を論じられ、見破られた、証言するくだりがある。
このくだりを私は、吉増剛造がインスピレーションとかシャーマニズムを意識して書いた、言い換えればエイヤで書いた詩について、論じられたものを吸収して、自らの詩人としてスタイルに加えているのだ、と感じた。
あくまでも、インスピレーションとかシャーマニズムを意識している、言い換えれば気取っているということだ。
シャーマンそのものではないというところがポイント。
そして、簡単に言うと、自らの詩を他者に論じさせて、エゴサーチして自分に取り込む、ということをしている。
こうして詩人が形成されるというのであれば、エゴサーチの方法が簡単で手軽となった現代では、昔の何倍もの速度で詩人になれるのではないか。
詩人に限らず、表現者は、エイヤで作品を発表し、SNSなどで言いたいことを言ってもらい、エゴサーチをして自らの表現や表現者としてのあり方をブラッシュアップしていけるのではないか。
表現者のインスタント化だ。