受験勉強で政治経済を勉強すると、若干思想や哲学に触れることになる。
経済ではアダム・スミスからマルクス、ケインズ。
少しマニアックなものでは、マルサス、ケネー、リカード、スラッファ。
ピエロ・スラッファなどはイタリア人で、ヴィトゲンシュタインとも交流があるので興味深いのだが、入門書のようなものがなく、専門書も数式ばかりで歯が立たない。
これらの経済関係の思想は、大学でも多少は学んだので、記憶に残っている。
日経新聞にもたまに登場する。
一方で、受験勉強以降ほとんど登場しないのは政治思想だ。
ホッブズ、ロック、ルソー。
マキャベリ。ニッコロ・マキャヴェッリ。イタリア。
学生の頃流行ったアントニオ・ネグリもイタリア。なぜかイタリア関連に愛着がある。
ネグリから遡って、ドゥルーズに。
ドゥルーズ含め政治思想はピンとこない。
政治思想を勉強したから何の役に立つのか、という気持ちになる。
それは政治の構造があまりにも当たり前になっているからなのかもしれない。
今現在の社会が社会契約状態なのだと言われても、ふうんそうなのか、としかならない。
政治を離れて、バタイユのエロティシズムなど具体的になるとピンとくる。禁止の侵犯がエロティックというのは、ピンとくるという言い方以外ないほどピンとくる。
他方、経済思想は実生活に多少は活かせる。
アダム・スミスのように右寄りな政策をする政党を支持するか、ケインズのように左寄りな政党を支持するか。
自分の考えが政策に影響する可能性がある。
わが家で納める税金が増えたり減ったり。勤めている会社が安定したりピンチになったり。
結局思想を学んでも、家族や仲間にとっての損益の話になる。
80歳くらいで人生終えるとなると結局そうなる。
地球の将来のことを考えて行動する人は立派だ。
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや 寺山修司