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断酒

断酒断念

断酒が1つの趣味になると思っていたが、辞めることにした。

趣味としての興味を失ったということと、断酒したからといって劇的に何かが良くなったというわけでは無いので、面白みがないからだ。

もちろん一滴でも飲むと体に害であるということが現代の科学が解明したことであるということは知っている。

しかしそこまで合理的にはなれなかった。

振り返ってみれば私は人文系の影響を強く受けており、ハードボイルドや退廃的なものにちょっとした憧れがあるのだ。

決定的なのは、私は詩が好きで、詩人が好きでだということだ。

酒もタバコもやらない詩人というのはあまり魅力を感じない。

これは偏見なので改めなければならないが、吉原幸子はタバコのイメージがあり、佐佐木幸綱は酒のイメージがある。

吉増剛造はあまり酒やビールのイメージがないが、早稲田での講義の後、高田牧舎でビールでも飲みましょう、この暑い中で飲む冷えたビールは美味しいぜ、などと言っていた。

これは一緒に飲みに行って少しでも話をしたらよかったと今でも後悔している。

まあでも、実際はそこまでの度胸はないというのが正直なところだ。

守中高明と酒の場で一緒になったことはある。

あれは懇親会みたいなもので、参加しやすかった。

守中高明は大変気さくで、酔った学生にあまりにきっちりしたオールバックをいじられたりしていた。

詩を書く時に具体的にどのようにするのか聞いたら、ワードを立ち上げて書くと言っていた。

今考えれば守中高明はMacを使いそうだが、当時はWindowsを使っていたということだ。

ラカンのシェーマLの理論を使ってカフカの変身を説明せよ、という課題が出て、私にはさっぱりわからなかったが、

別の学生のが見事に説明していた。

あの学生は独学であの理路整然としたプレゼンをしたのだろうか。

恐るべし早稲田の学生。

というわけでアルコールに浸っている自分可愛さが払拭できずに、断酒を断念することになった。

情けないことであるという認識ではあるがこれもまた人生だ。

町田康はよく酒をやめたとおもう。

信じられない。

とはいうものの、一時期に比べれば飲酒量は少なくなった。

ヘルシオ導入により調理時間が短くなり、酒を飲みながら、という必要がなくなったというのが一つの理由だ。