私は早稲田大学にまぐれで受かったので、その軌跡を残しておこうと思う。
私は一浪している。
当時湘南高校は三年生から文系理系で分かれた。
数学がさっぱりできなかった私は、数学を勉強しないで済む私立文系のコースを選んだ。
結果、数学ⅠAⅡBまで。なんと高校では物理を学んでいない。 かわりにセンター試験で有利であるという地学を受けていた。
ちなみに湘南高校もラッキーで入った。
当時は学区制で、内申点がかなり重視された。
中学の内申点はかなり良かったが、これは全体のレベルがそれほどではなかったからだ。
入学してからの周りのレベルの高さを見るとそういうことなのだ。
湘南高校は富裕層が住む学区を含んでおり、子供の教育にお金をかけている家庭が多いのだと思う。
そしてリベラルな思想を持った人が多かった、今振り返れば。
当時は何も分からなかったが、君が代を歌ったり歌わされたりすることはなかった。
国旗は掲揚され、その際に起立を求められたが、起立しない人が多かった。私にはわざわざ起立しない理由が分からなかった。
当時国旗国歌法が施行されたのだが、それと思想の関係が分かっていなかった。
湘南高校は公立の割には贅沢な高校で、校歌が北原白秋作詞、山田耕筰作曲。
体育館が2つある。
窓が丸い。
甲子園で優勝したことがある。
サッカーも全国優勝したことがある。
体育で縄跳びをやる。
前期後期の2学期制。
70分授業。
2週間単位の時間割。
浦和高校との定期交流戦、浦高戦がある。
浦高戦は我々の代で終わったと思う。ずっと負け続けていたが、最後に勝って終わった。
浦和高校は男子校なので、湘南高校側にほとんどメリットがないというもっぱらの評判だった。
とは言え、臨時の団体列車で神奈川と埼玉間を移動するのだからなかなかのものだ。
全校1000人以上が一斉に移動していた? 選ばれし者だけだったか? 記憶にない。
大学受験の話に戻るが、現役のときは全然勉強ができなくてこれではいけないと思い、市進予備校へ行かせてもらった。
周りには早稲田塾や城南予備校へ行っている人が多かった。
市進予備校は地味だったが、先生は結構面白かった。
現代文の兵頭先生。ネットで調べたら有名になっていた。兵頭宗俊先生。当時いくつだったのだろう。
自らを役者崩れだと言っていたのが印象的だった。
市進予備校は現役生の予備校なので、学校が試験だと出席率が悪くなる。
私は先生の授業が好きだったので、授業料も払っていることだし、テスト中でも出席したが、兵頭先生に対して生徒が私一人だったことがある。
私が来なければゆっくりできたものを、先生には悪いことをした。
その時は講義形式ではなく、問題を解いてから先生に見てもらうという家庭教師形式だったと記憶する。贅沢であった。
書いているうちに色々思い出してきたので、続きは明日にします。