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早稲田

早稲田大学にまぐれで受かるには2

 市進予備校は古文の先生も面白かった。

 名前を忘れてしまったが、落語家のような風貌だった。

 氷をしまっておくところとしての氷室の話になったとき、氷室京介の話になった。

 落語家のような風貌と氷室京介がマッチせずインパクトがあった。

 当時古文に興味があった。

 その旨先生に相談すると、江戸の文学なんか面白い。近松門左衛門の「世間胸算用」なんか良いのでは。研究するなら國學院が強いとアドバイスをもらった。

 いざ進路を選ぶときに、専門にするほど本を読んで来なかったと思い直し、文学部はやめた。

 この決断は正しかった。大学に入ると周りは本を読む人ばかりだった。

 高校生の私は新書すら知らず、大学生になってやっとちょこちょこと読むようになった。

 文学部の人など便覧に載っているような小説、村上春樹、官能小説など何でも詳しかった。

 

 現役のときは結局潰しが効くという理由で法学部を選んだ。

 中央の法学部、早稲田の法学部を受けたがどちらも落ちた。

 浪人することになった。

 確か高校の卒業式の帰り道だったか、代ゼミがビラを配っており、湘南高校卒と言うだけで学費が一部免除になるというので、悩まず入った。

 代ゼミへ行くことしたが、コースは早稲田狙い撃ちのものにした。 

 当時そういうコースがあったと思う。

 難関私大でも早慶でもなく、早稲田狙い撃ちのコース。

 全振りして少しでも早稲田に合格する確率を上げようと思ったのだ。 

 この頃には早稲田、明治、法政などの泥臭いイメージの大学に憧れていた。

 その中でも、変なことを大真面目にやる早稲田にぜひとも行きたいと思った。

 京大も似たイメージだが、早稲田にはやわらかさがあると思う。

 早稲田狙い撃ちのコースはモチベーションの維持という意味で良かった。周りも早稲田を目指しており、情報が入ってくる。

 また先生も早稲田に愛着がある人だった。

 現代文の酒井先生。逆手で板書。ヱビスビール。間違いの選択肢に(゚Д゚)ハァ?

 英語の佐藤ヒロシ先生。指し棒で生徒を指し、どうすか? 次年度からヒロシをカタカナにすると言っていた。

 同じく英語の今井宏先生。プルプルコンコン。ハイロシャイ。インド人の名前みたい。

 早稲田関係ないかもしれないが、古文は吉野先生。雑談が面白く、友人のオジャンがよく登場していた。大金持ちなのにちくわにきゅうりを詰める話をしていた。

 そして、政経の小畑先生。鉛筆ニョロニョロ。時事ネタの雑談もしてくれたので、時事ネタの扱うYoutubeのような面白さだったと思う。先生の授業はもちろん面白かったが、政治経済の勉強そのものが、受験勉強にしては面白かった。新聞がわかるようになるので。

 日本史や世界史も教養として面白いだろうが、政治経済は即効性のある面白さなので、勉強をする気になるのだ。

 浪人生活はなかなか面白かった。たくさんの面白い授業に出会えたし、横浜校だったので気晴らしに海へ出たり、正月は駅伝の様子を見たりした。

 ラッキーなことに上の先生の授業もサテライトばかりでなく生で受けられた。

 浪人したら予備校に行くべきかと言われたら、行くべきと思う。

 まず、大学に関する情報が集まる。

 オープンキャンパスの情報。

 過去問。

 志望大学のネタはモチベーションになる。

 ペースメーカーの役割もある。模試も自動的に受けることになる。

 自動的に受けることにならないと、良くない結果になるのが嫌だから、受けないことがあると思う。

 

 そうこうしているうちに、本番を迎えた。

 受験科目に政治経済を選んだことにより、学問としての政治経済に興味を持ったので、早稲田政治経済、明治政治経済を受けた。

 また、早稲田大学へのあこがれから、社会科学部、商学部を受けた。

 そして、早稲田、明治の流れから法政大学の社会学部を受けた。

 結果受かったのは法政の社会学部、明治の政経学部、早稲田の政経学部だった。早稲田はなんと政経だけ受かった。

 これがまぐれで受かった所以だ。

 法政大学も、当時は社会学部は学科が社会学科と社会政策科学科の2つがあり、第一志望を社会学科にした。しかし社会政策科学科に受かった。ということはギリギリ第二志望の方で採用されたのだろう。

 合格発表は、法政、明治、早稲田の順で、早稲田は社会科学部、商学部、政治経済学部の順だった。社会科学部、商学部が不合格だった時点で、政治経済学部は受かっていないだろうと思った。

 明治に入ろうとしており、叔父さんに入学の奨学金の連帯保証人をお願いしていた。明治は連帯保証人を両親にしてはいけなかったのだったと思う。

 その後念のために政治経済学部の合格発表を電話音声で確認したら合格だと言っている。

 なにかの間違いではと思い、早稲田大学まで見に行ったが確かに受験番号があったのだった。

 信じられずふわふわした気持ちで、せっかくだから「フクちゃん」で有名なチョコとんを食べて帰ったのだった。

 そのように滑り込んだので早稲田大学にはかなりの愛着がある。 

 当時は1年間受験勉強をし続けるのは長く辛かった。夏は受験の天王山などと言って随分長く感じたが、20年社会人やっている今となっては大した時間ではない。たった1年位頑張れそうな気がする。